京都アニメーション実名報道について感じたこと

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こんにちは、殿内(@tonoccho)です

普段はリンクを貼ってどこに情報があるかを書いたりしますが、今回はそういうのなしの方向で。

インターネットでは色々な議論があったものの、ついに京都アニメーションの被害者の氏名が公表されました。その記事はまた見ていません。ヘッドラインから「公表されたんだな・・・」と思いました。同時にかなり自分の気持が引っ掻き回される感じがしたので書いてみようと思います。かなり矛盾したことも書いているかもしれません。

被害者の氏名公表はリアリティのため?

自分は今回の件だけではなく、昔から被害者の実名報道については「遺族の意向を尊重すべき」という立場でしたし、そもそもそういうニュースを聞いたところで「で、被害者の氏名は?」と思ったこともないわけです。どういう状況でどういう手口で、というのも実はあまり興味がありません。事件の規模が大きすぎて「身の回りで起こるようなリアリティを感じない」からです。確かにあまりにも現実離れした事件は「本当にこの世で起きたことなのか?」と思いますし、そもそも「どんなに気をつけても無駄なことはある」という感想も持ちつつあります。

狂人がガソリン撒いて火をつける、ということを防ぐ、なんていうのは個人にはできないと思います。なので、そのリアリティは不要だろう、と思います。一方で「組織」の単位で考えるなら「万が一そういうことがあったらどうするか」ということは考えておく必要があるでしょう。ですが、それについても必要なのは「どういう手口で実行されたのか」とか「どこがまずくて被害を拡大させることになったのか」という情報しかいりません。建物の構造とか、管理体制とかね。

今回マスコミで被害者の実名報道をするという点において「リアリティ」ということを向こうはしきりに言っていたような気がします。ツイッターでもいくつかそういう発言は見られました。ただ、「そのリアリティがなぜ必要か?そのリアリティがあることで一体人々はなんの改善に役立てることができるのか?」という議論がまったくなくただリアリティという言葉が独り歩きしていたように見えました。

被害者の氏名を公表することに意義があるなら

もしも意義があるとしたら「遺族ではわからない仲の良い人がニュースを見て情報を手にするかもしれない」というその一点くらいだと思います。御巣鷹山の墜落事故のときは毎晩のように被害者の氏名がテレビで流されていました。父は「こうすることで気がつく人がいるからだ」と言っていました。

ですが、このSNS全盛の時代になると「興味本位で知りたい人に餌を撒いている行為」にしかならない可能性のほうが遥かに大きいわけですし、仮にそうだとしても、「知らせることがそんなに重要?」とも思います。本人の携帯や住所録データに連絡先があるでしょうし、もしもないのならそのくらいの関係だったということです。今どきアドレス帳はGoogleやAppleのクラウドに保管されていますから、もし携帯電話本体が壊れたとしても問題はないでしょう。

どちらかというとマスコミが流すべき情報はこういうことではないでしょうかね?遺族の方に「被害者の方の持っていたアドレスデータはこうすることで入手できるかもしれませんよ」とか「被害者の方が使っていたSNSのアカウントはこういう手続きで入手できますよ」とかそういう情報。

被害者の氏名を公表することに感じる事

被害者の氏名を公表する、というのはどういうことなのかということです。遺族の方からするとテレビで連日「被害にあった家族」の話をされるわけです。仮に自分の家族がひどい殺され方をして、元が誰かもわからないくらいに損傷した遺体を見る(もしくはとても見ることなんかできない)、という経験を経た後で改めてどんな手口で、どんな感じに犠牲になって、という検証をテレビで連日流されて、というだけで自分だったらもう耐え難いと思います。

この世からテレビをなくすなんてできないし、自分が見なくてもそれを見た第三者が「こんなふうだったんですって」という話をされるかもしれません。それ自分の子供なんだけど・・・と思いながら。正直あの手の細かな検証についても「何でそんなにしきりにやるのか」という気持ちはありますし、「それをテレビで報道する意味はあるのか」とも思います。だって似たようなビルに努めている人は不安になるし、「ああいうビルならこうすればできるのか」という別の狂人にヒントを与えていることにもなるわけですから。

以前中学生の子がいじめで自殺したという報道があったらとたんに他にも何人もの子供が自殺したということがありました。そういうのを受けて自殺の報道は控えるようになったんだかそんなふうになったと記憶していますが、この手の報道を見聞きするに連れて「自殺じゃなければ良いんでしょ?」というマスコミの傲慢さを感じるわけです。

情報を提供する義務がある!と言うなら、NHKを守る会の人がマツコ・デラックスにしたこと、杉田水脈がなんかやったこと、のほうが個人にとっては遥かに重要です。政治家が個人に対して牙を剥いたという事例なわけですから。報道しているかもしれないけど別のニュースで被されて目立たなくされれば報道していないも同様です。

ニュースはそれが誰にとって重要なのかを考えなくてはならない

そういうわけなので、京都アニメーションの事件についても「その情報って誰にとって大事なの?」という観点があるんでしょうか?と思います。

個人のレベルで何が重要かというと、正直何も重要じゃない気がしますし、遺族の方々をこうやって長きに渡って引っ掻き回すほどのものでもないと思います。「こういう事件がありました」以上の情報はいりません。

建物の構造がこうだったから逃げ遅れて死者が増えた、という情報が必要なのは防災担当者、ビルの設計者、実際にビルを使う人にとっては重要です。

犯人がこういう手口で侵入してこうやって火をつけた、という情報が必要なのは誰でしょう?入館管理やそのへんの体制を作る人には重要でしょう。

先にも書きましたが、こういう情報を得るべきじゃないのは模倣するかもしれない人、これ以上このことに触れてほしくない人、面白半分に事件のことを書き立てたい人、あと自分みたいにこういうニュースを見て感情をかき回される人、なんかだと思いますが、テレビで放送する以上はそういう人たちにも合わせて送っているし、情報は拡散してなんだかんだでもっとたくさんの人に届くわけですからマスコミは今一度考えるべきだと思います。

NZの新聞なんか見ていると日本のそれと比較できる

NZでもあった未曾有の大事故、CHCHの襲撃事件ですが、マスコミではそれほど追求していません。政府があの事件を受けて法律を変えました、とかそういうことはアナウンスされましたが、「今日もモスクの前には重装備した警察官が詰めています」なんて言うニュースはついぞ見ませんでした。「モスクの構造がこうで犯人はここから闖入してこうやってムスリムを追い詰めた」なんてことは見たことがありません。多分、大騒ぎしたのは最初の数日か1週間くらいだったと思いますが、その事件がいかに陰惨だったかと、NZ中のメディアがお見舞い申し上げていた、くらいでした。被害者の名前なんか一文字も見ていません。

ですが、政府や警察なんかでは色々と検証をしているかもしれません。実際自分もあの事件が今年のことか去年のことかあまり明確に覚えていませんが、「政府が国民が持っている銃をキチンと管理することにしたようだ」という情報とNZ国民はこういうときはただ同情するだけ、という優しさを持っている、だけで十分だと思います。

むしろ日本が南アフリカにラグビーで勝ったときのほうがマスコミは面白おかしく大騒ぎだったと思います(NZ人は相当ショックだったようですが)。政府の不正なんかは長きに渡って追求されていました。これはマスコミが書き立てるべきはなにか、ということがしっかりしているからなんだと思います。市民が犠牲になったような事件や事故は「触れることはあるけど基本そっとしておく」というモラルがあるんだと個人的に理解しています。

以下追記

と、ここまで書いておいてなんだか自信がなくなったので改めてネットで調べたら、CHCH銃撃被害者の顔写真と名前、年齢がバッチリ報道されていました。嘘書きました。ごめんなさい。ただ、読むにはつらすぎたのでリンクは貼りません。

しかもこの記事に結構政治家とかセレブリティも反応しているようですね。こういうことについて日本以外の国はどういう反応しているんでしょうかね?

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